『黒衣の刺客』

『悲情城市』『フラワーズ・オブ・シャンハイ』など、特徴的な長回しの積み重ねで人の営みを写し取ってきた台湾の巨匠、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督。そんなホウ監督が、武侠映画を撮る…? まさか俳優をワイヤーで吊って湖の上で闘わせるような映画は撮らないだろうとは思っていたが、9月12日公開の『黒衣の刺客』は、持ち味が存分に発揮されたかつて観たことのない武侠映画になっている。

ホウ監督8年ぶりのこの新作は、唐代の中国を舞台に、暗殺者として育てられた一人の女性を主人公として展開する。元許婚の殺害を命じられた彼女は実行を試みるも、心にまだ情愛が残っていることに戸惑い、自分の運命を見つめ直していくという筋書き。

本作の脚本家のひとり・謝海盟氏は、台湾で発売されている撮影随行録「行雲紀」の中で語っている。ホウ監督は、準備段階で史実を丁寧に調べ上げ、物語や人物の設定を細部まで作り込んでいるのだ、と。その上で、撮影に入ってしまえば、カメラの前で起きること、役者の演技にすべてゆだね、現場で生まれるリアリティの方を大切にする。膨大な量のフィルムを回し、後に不要と判断したカットをバッサバッサと切っていくのだという。その結果、ストーリーや人物相関図は分かりにくくなるという"副作用"が伴うのだが、そこはぜひ、スクリーンに映し出される世界をそのまま受け止めてみてほしい。唐代の様式を求めて日本で撮影された古刹や、山水画のような中国の大自然。そこに溶け込む人間たち。まるで唐代の営みが眼前に再現されたかのような、贅沢な感覚を味わうことができる。

光の粒子ひとつひとつが息づいているような、名キャメラマン李屏賓(リー・ピンビン)による映像が秀逸。さらに、衣擦れの音、小枝の弾ける音、ひとつひとつが観る者の想像をかき立てる音も素晴らしい。"台湾ニューウェーブ"時代から現在まで、数多の名作を手がけきた台湾映画界No.1の録音技師・杜篤之(ドゥー・ドゥージ)によるものだ。ちなみに筆者は台北映画祭が開催されていた7月の台湾を訪れ、何本か中華圏の新作映画を鑑賞したのだが、ちょっと「いいな」と思う作品のエンドロールには、ことごとく杜篤之の名前が。いったいどれだけ仕事をしているのか…。そんな職人の技を堪能するだけでも劇場に足を運ぶ価値がある。

『黒衣の刺客』
監督:ホウ・シャオシェン
原題:刺客 聶隱娘
出演:スー・チー、チャン・チェン、妻夫木聡、忽那汐里
配給:松竹(株)メディア事業部
9 月 12 日(土)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー
公式サイト http://kokui-movie.com/

(c)2015 Spot Films, Sil-Metropole Organisation Ltd,
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執筆者=新田理恵(フリーライター&エディター)


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